ハウステンボスのすぐ隣にある本仏寺、通称 「釜墓地」。普段は無人の小さな庵です。
縁あって盆暮両彼岸に私達はお参りに行くのですが、いつものように何気なく参詣名簿を開いてビックリ、「加藤登紀子」さんのお名前を見つけました。 日付は今月7日、あの大型台風18号直撃の日です。 (猛烈な暴風雨でしたが皆様のお宅は如何でしたでしょうか?) 直筆は初めてでしたが、幾度か見覚えのある素敵な筆跡、ご本人だと確信しました。
ハウステンボスの隣といっても一般観光客の目に留まるところではありません。が、実はここに戦時中フィリピンで亡くなった日本人6500余の英霊が祀られているのです。
昭和24年フィリピンからこの佐世保の地までおびただしい数の遺体や遺骨が運ばれてきました。判り得る限りの情報が添えられていたそうですが日本政府はどうしたことだったのでしょう、遺族を探すこと無くここで一堂に葬ってしまったのです。
その中に25歳で戦病死した叔父の名前がありました。三十余年の後、ほんの小さな偶然からそのことを知った父の胸中は複雑でした。 何故これまで判らなかったのか・・当時政府が適切な対応をしていれば、まだ存命だった母とともに弟を迎えることも出来たのに・・でもここまで帰ってきていて、それがわかっただけでも幸い・・
私財を投じ長い間たったひとりで英霊を護ってこられた芳林和尚さんや、お線香とともに必ず煙草を手向けていた今は亡き父の仕草などが懐かしく甦ります。
加藤登紀子さん、あの物凄い台風の中お参り頂きどうも有難うございました。
—- ドライブの 一瞬もえし まんじゅしゃげ —-
今年94歳で他界された嬉野の「戦争未亡人」が詠まれた句です(嬉野在住・朝長弘道氏「田舎医者のひとりごと」より)。写真はお店の脇に咲く彼岸花(まんじゅしゃげ)、本日撮影です。【2004.09.16】
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